刀工・金道

日本刀の新刀の刀工で金道というのは、江戸時代初期の山城国の人だそうです。金道の初代だそうです。濃州兼道の子供だそうです。三品氏。本国は美濃国だそうです。永禄二年に、二条関白晴良に従って、弟の和泉守金道、丹波守吉道、越中守正利らと上京したそうです。西洞院竹屋通下ルに住んでいたそうです。朝廷の御用を務めて、伊賀守を受領したそうです。大阪の陣では、徳川家康の命を受けて、京中の鍛冶を動員して一〇〇日間に一〇〇〇振りの太刀を打ち上げたそうです。「日本鍛冶惣匠」の号を許されたそうです。また、以後代々の金道は刀工の受領の仲介をしたそうです。金道の二代目は、茎に「菊紋」と「日本鍛冶惣匠」を刻するそうです。三代目の金道は、三十歳のときに伊賀守を受領したそうです。和泉守金道の初代は、濃州兼道の子供だそうです。和泉守金道の五代目の遺例は亨保十五年紀があるそうです。清重という日本刀、新刀の刀工は、江戸時代前期の長門国の人だそうです。新刀期の二王派だそうです。清尭というのは、江戸時代初期の武蔵国の日本刀の新刀の刀工だそうです。本姓は小野だそうです。通称は野田善四郎。本国は三河国だそうです。大御所徳川家康に仕えて、駿府で鉄砲を鍛錬したそうです。その後、刀工に転じて、繁慶と名乗ったそうです。清宣というのは、江戸時代初期の美濃国の刀工だそうです。清宣の初代となるそうです。加茂郡平賀に住んで平賀関と称していたそうです。清宣の二代目は寛文年間から延宝年間まで作刀したそうです。清平というのは、江戸時代前期の加賀国の日本刀新刀の刀工だそうです。兼若初代の四男だそうです。承応二年に江戸に出て、寛文二年ごろに、小田原藩主因幡正則に仕えていたそうです。

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