鹿島新当流

奥州侵攻の最前線であった常陸国・下総国には、腕に自信がある強者が集結した。必然、剣術の鍛錬が日常になった。

鹿島神宮の社宝「鹿島の太刀」を古来より伝承してきたのは、吉川氏。吉川左京覚賢の次男、吉川朝孝も「鹿島の太刀」の伝承者であった。朝孝は塚原家に養子に入り、香取神道流を学んだ。

のちの剣聖塚原卜伝の誕生である。16歳で諸国修行に旅立ち、14年にわたる修行行脚で剣技は上達したが、死と隣合わせの暮らしの中で憔悴して鹿島に帰郷する。

鹿島神宮に千日間参籠し精神を鍛え直し、剣技のさらなる研鑽に努めた。鹿島大神より「心を新たにして事に当たれ」との御神示が下され、鹿島新当流を創始した。

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