著名な打刀の歴史とその作者

・南泉一文字(なんせんいちもんじ)
無銘で、作者は不明です。
足利将軍家が所蔵していたころ、研ぐために立てかけてあった刀に猫が触れてしまい、真っ二つに斬れたということから、こう呼ばれるようになりました。
鎬造りで庵棟、反りは浅く、小切先は猪首ごころとなる。
刃文は、大房の重花丁子乱れである。
重要文化財に指定されています。
徳川美術館に所蔵されています。

・五月雨江(さみだれごう)
郷義弘による打刀です。
五月雨の季節にこの刀が打たれ、まるで霧のように美しいことから、こう呼ばれるようになりました。
鎬造りで庵棟、浅い鳥居反り、中切先のフクラは枯れる。
刃文は、湾れに小乱れ交じりです。
重要文化財に指定されています。
徳川美術館に所蔵されています。

・村雲江(むらくもごう)
無銘ではあるが、郷義弘による打刀だと言われています。
この刀を豊臣秀吉に見せたところ、刀身の沸(にえ)がまるで湧き出る雲(群雲)のようだと言ったことから、こう呼ばれるようになりました。
鎬造りで庵棟、中反りやや高くつき、中鋒。
刃文は、直刃ごころに浅くのたれ、互の目交じり。
重要文化財に指定されています。
個人が所蔵しています。

・分部志津(わけべしづ)
無銘ではあるが、志津三郎兼氏による打刀だと言われています。
伊勢国奄芸郡上野(三重県津市)城主の分部光嘉が所持していたことから、こう呼ばれるようになりました。
鎬造りで庵棟、中鋒。
刃文は、大乱れ、互の目交じり。
重要文化財に指定されています。
徳川美術館に所蔵されています。

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