与三左衛門尉祐定

与三左衛門尉祐定は、備前国(現在の岡山県東部)で繁栄した備前伝長船派の刀工である。与三左衛門尉祐定の初代。彦兵衛尉祐定の子である。室町時代初期から末期まで祐定の銘は複数の刀工が称したが、中でも室町時代末期に活動したこの与三左衛門尉祐定が、最も優れた名工とされている。作風は、打ち出す互の目乱刃の焼頭が対に割れた独特の形状。蟹の爪に似ていることから「蟹の爪刃」と表現されている。また、当時としては珍しい両刃造の作例も多い。銘は、「備前國住長船与三左衛門尉祐定作」と切る。「与」の字の切り方により馬与、一与、 四つ与、放れ与の呼称がある。戦国武将宇喜多氏の需めに応じて鍛えた作例が多数であったといわれる。

代表作

鎧通 特別保存刀剣 銘 備州長船祐定 明応七年八月日

刀 保存刀剣 銘 備州長船祐定 永正二年八月日

太平の世での刀の扱い

江戸時代では、武士による日本刀の使用に厳しい制限をかけていました。納得できるような理由なく刀で人を斬れば、場合によっては切腹というレベルだったので、武士であっても刀を抜く時には死を覚悟するほどだったそうです。

例えば、薩摩藩の武士の子は、育てられる時に「国・主君のため以外に刀を抜いてはならない」と教わります。同時に「もし抜いた場合は、必ず敵の首を取る」とも言われるそうです。

母親の方も、子供が刀を使っていないか厳しくチェックする必要がありました。子供が外に出る時には、刀と鞘とを髪の毛などで結んで刀を抜かなかったかどうかを確認したと言われています。

江戸時代は太平の世と呼ばれるほどの、平和な時代です。人を殺す力のある武器を持つことに対して、相応の意識と覚悟が必要だったと言えるでしょう。

貴族の肖像画と帯刀

宮中で日本刀を帯刀することは、その人の位を表しています。位の高い人に与えられている特権とも言えるでしょう。貴族の肖像画に描かれている人々は、必ず太刀を帯刀しています。これも当然、位の高さを表すのです。例えば、聖徳太子の肖像画です。ここに描かれているのは、三人の子供まで含めて皆が帯刀しています。学問の神様としても知られている、平安時代の菅原道真も同じです。文章博士に任ぜられるほどの典型的な文官にも関わらず、肖像画は全て、太刀が覗く形になっています。平安時代の後期頃からは、平清盛・源頼朝・源義経などの武士の肖像画が描かれていくようになりましたが、当然ながら帯刀姿です。今までの貴族のように、特権を象徴するために帯刀していたのです。これは、『元々日本刀が天皇から授与される宝物であった』というころを、由来としているそうです。

明治時代の廃刀令とは

明治時代は、それまで長く続いてきた武家制度が終わったということもあり、象徴的な時代ですが、その際に廃刀令が出されたため、刀の需要が一気に激減しました。そのため、刀剣産業は大変な打撃を受けました。では、どのような打撃となったのでしょうか。
日本刀の名産地であった関市、つまりは現代の岐阜県ですが、廃刀令によって、刀剣産業は衰えていきました。しかし、その技術は応用されていきました。その応用先は、ポケットナイフです。
実は、今の日本のポケットナイフの出荷額の、50%以上が、この岐阜県関市で作られていると言われています。この海外への輸出が始まったのは日清戦争のころです。そこからだんだんと事業を伸ばしていき、カミソリや包丁、それからハサミや爪切りなど、生活必需品の刃物を作る一大メーカーとなりました。
ぜひそのような歴史について知り、楽しみましょう。

刀剣オークションに出品する際に気をつけたいこと

刀剣オークションとは日本刀などの刀を販売したいと思っている人と欲しいと思っている人を結びつける仕組みです。買取店を挟まず直接買い手と売買するため利益を上げやすくなっています。

オークションに出品する際に必ず意識したいのは刀剣の保存状態です。名刀であっても保存状態が悪ければ最悪の場合ガラクタと認識されてしまう可能性があります。オークションに出品するまでに錆や品質の改善を行いましょう。

販売しようとしている刀剣の価値をあらかじめ把握しておくことも大切です。価値の分からないまま売買しようとすると知識のある人に騙される可能性があります。

不安のある方は事前に専門の鑑定士のもとへ行きましょう。オークションは自分主体の売買となります。日本だけでなく外国向けのオークションに出品することもおすすめです。

日本刀の鑑賞方法

日本刀は、ただの興味本位で眺めても楽しいものですが、ある程度一般的な鑑賞方法を身につけると、より楽しく鑑賞できます。
まず、日本刀を鑑賞する一番の目的は、その静謐な美しさでしょう。そこには武器としての鋭さが存在しており、生と死を何度も見てきたのだ、という恐ろしさが含まれています。
観賞の際に知っておく知識は大きく分けて3つあり、それは、日本刀の姿と、刃文と、地鉄です。
日本刀の姿は、時代や作り手によって大きく異なります。時代に応じてどのように変化してきたのかの知識があると、より楽しめるでしょう。
刃文は、刀匠の個性が非常に大きく発揮される部分です。一つとして同じものはなく、見て飽きることがありません。
地鉄は、主に製鉄技術によって大きく異なります。その時代性が現れてくるため、時代ごとの製鉄についての知識があると、非常に楽しめます。

刀剣の手入れ

刀剣は非常に大切なものです。刀鍛冶の方が一生懸命作り上げ、それが現代まで大事に保管されてきたのですから。しかし、そのような歴史ある刀剣でも、手入れを怠ればすぐに錆び、価値を失ってしまいます。そのようなことにならないように、この文章では、刀剣の手入れ方法について解説していきます。
まず、基本ですが、刀剣は鉄でできています。そのため、水に濡れたままにしておくと錆びます。水がついてしまったらすぐに拭き取り、水気のある場所には置かないようにしましょう。
また、刀剣を抜くときは、必ず刃を上にして、左右に動かすことのないように、ゆっくりと抜きます。急いで抜くと、刀剣が壊れたり、自分が怪我をしたりする可能性があるため気をつけましょう。
刀剣を手入れする際は、目釘を抜く、鞘から刀剣を抜く、柄を外す、古い油を拭き取る、打ち粉で残った油をなくす、新しい油をぬる、という手順を行います。その過程で怪我をしないように気をつけましょう。

日本刀における刃とは

日本刀は世界一切れ味が良いとされる刀剣類ですが、刀と刃の違いを正しく知らないという方は多いです。刃とは研ぎの入った刃の部分のことを指し、対象を切断する機能のついた面で日本刀にとって肝心要の部分でもあります。語源には焼き刃のイ音便形であり、本来は焼き入れをした日本刀の刃や焼き入れで生じた刃文のことを指し、これが訛って「やいば」と発音されるようになりました。
2つの違いは前者は日本刀を示す言葉や総称であり、後者は部分を指す意味であり、漢字の刀に「丶」を付け足した漢字を使用することによって、刀の一部分を示す文字となった由来があります。そして切れ味の良さを作り上げる作刀技術は、主に折り返し鍛錬と造込み、反りの3項目で成り立ち、刀工の技量によって見た目の良さに加えて、切れ味や折れにくい仕上がりになります。

刀剣の鋒/切先の構造について解説

刀剣の鋒/切先は、刀身の先端部分にあたり刀身の中でも一番美しい部分だと言われています。刀剣の鋒/切先は、先端が尖っている構造になっていて、戦の際に的を突くことに使われるので、武器としての戦闘能力の高さを左右させる部分になります。刀剣の鋒/切先はいくつかの部位にわけることができ構造も異なります。鋒・切先のふくらは、刃先部が曲線状になっている構造になり、しっかりとしたふくらみがある刀は評価が高く、刃こぼれを起こした際に悪い研ぎ方で刀を研いでしまうと曲線が失われることになり評価が落ちる傾向にあります。鋒・切先の帽子の刃文の部分の構造は、刀工や流派によって違いがあり、焼き入れの仕方によって紋様がさまざまになります。鋒・切先の帽子は、重ねが薄く焼き入れの難易度が高く、均等に火入れをするには高い技術が必要になります。

樋と二筋樋を読めますか

タイトルにあります、「樋」と「二筋樋」の読み方をご存知でしょうか。それぞれ「樋(ひ)」と「二筋樋(ふたすじひ)」と読むのですが、どちらも日本刀の刀身に掘られる細長い溝のことを意味し「二筋樋」は「樋」の種類の1つになります。イメージとしましては、戦国武将の持つ長い持ち手の槍(やり)の先についている銀色の相手を突く金属の部分の中央に溝が入っているのと同様に、刀の刃の波紋(切れる刃先)の上側と棟(むね)と呼ばれる背側の間に同じ太さの溝が2本平行にあると考えていただきたいと思います。
特に樋の中でも二筋樋と言えば、「刀・無銘・貞宗(かたな・むめい・さだむね)」と言われており、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて相模国(神奈川県)の刀工「貞宗」によって作られたことで有名です。